「車輪の下」は、青春くさい書であるが、強烈だった。順番に「春の嵐」「クヌルプ「青春は美わし」と読んだが、どうという事はなかった。ドップリ青春である。恋に、放浪に、素朴で美しく、なつかしくも甘酸っぱい感じだ。ヘッセは成功して子供にも恵まれ、自然志向のスローライフ化していった。
惰性で読んでいて高校時代に、いちど熱は冷め、次の「デミアン」を読んだのは、20才の時だった。
ヘッセは象徴的に人生の葛藤を提示し、作者が読者に意思の疎通として語りかける手法を用います。内在する葛藤を意識させ認識させていき、克服しようと思わせるので、さまざまに解釈されるそうです。その代表作が「車輪の下」「デミアン」「荒野の狼」だそうです。
あらすじ
「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したにすぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか。」の冒頭から始まる。
10才の少年シンクレールは、恵まれた明るい家庭にいた。不良に憧れ仲間入り、からかわれパシリになりカツアゲされ悪の手先になる。そこへ転校してきたデミアンに助けられ、キリスト教とは違う考えでカインとアベルについて話し、カインの印という新しい世界観を示す。そしてどこかへ行ってしまう。高校で偏屈孤独な皮肉屋になっていたシンクレールは、ある少女との出会いがきっかけで、デミアンへの憧れを思い出す?そして象徴的な夢、タカの雛が卵の殻を破り飛び出そうとする夢を見る。その絵を描き、居場所のわからないデミアンに送ると、ある日自分の本の間に紙切れを見つける。「鳥は卵から抜け出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。神の名はアプラクサスという。」神であり、悪魔である分りずらい神アクプラサスについて音楽家ピストリウスと語るが、その影響からも決別していく。そして大学で、デミアンとの再会が訪れる、デミアンは、精神的発展やら新しい世界や、新しい生き方を語り、旧態的なキリスト教やヨーロッパを批判する。そして戦争が始まるとデミアンもシンクレールも出兵する。野戦病院で再会し、デミアンはシンクレールに別れを告げる。「シンクレールは今はまったく彼に、私の友であり、導き手である彼に似ている自分自身の姿が、みえるのである。」でおしまい。
あらすじを追ってみるとチンケな話だなこれ。しかし、20才当時の自分は、精神的に進歩したかったし、成長したかったんで、熱心に読んだ。しかし、本編よりはしがきが良かった。
「すべての人間の生活は、自分自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自分ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうと努めている。、、、、各人みな、人間に向かっての自然の一投である。みんな、その深みからの一つの試みとして一投として、自己の目標に向かって努力している。我々はたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。」
当時の自分には心強い言葉だった。今読むとオモッ苦しいし堅いな、文学だからなぁ。
心理学者のユングとの交流、妻の心の病、祖父がインド学者で、インドや仏教の影響、などから「デミアン」は書かれ、70年代前後のヒッピーの愛読書となる「荒野の狼」に向かって行く。、イージーライダーのテーマ「ワイルドにいこうぜ!」はスタッペンウルフ(荒野の狼)だ。
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