ひつこく「二十歳の原点」7
おれがHPやったら絵を載せたくなる。本の事を書きたくなる。音楽というかロックも好きだけど、しかし、共通点や共感より自分の思いに走っていってしまうだろうなと思っていた。
「二十歳の原点」は死んだ彼女を思い出す、みたいな感じを1年ぐらい引き摺った。擬似恋愛なんだなこれ。そして自分自身の姿を彼女に見出していた。だけどそれから、高野悦子さんは特殊でもなんでもなく、形を変え、品を変え男女問わず同じような葛藤を多くの人が抱え込んだものだと思えてきた。
3冊をじっくり読み返したのは、最初に読んで、12年前読んで以来だった、重い言葉が書かれている当たりを読んだりしてたり、最後に載っている詩「旅に出よう」は何度も読んだ。彼女はヘッセを読んでいた、「詩はヘッセしか読んだ事ない」とか書いている。そして、「詩人になりたい」とも書いている、そしてヘッセの詩も書いている。彼女との共通点はヘッセ好きと言う点(書いてておれバカみたい)彼女の詩は、ヘッセ色が強いのでおれはなじみやすい。
霧の中
不思議だ、霧の中を歩くのは! どの茂みも石も孤独だ。
どの木にも他の木は見えない。 みんなひとりぼっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、 私にとって世界は友だちに溢れていた。
いま、霧がおりると、 誰ももう見えない。
ほんとうに、自分をすべてのものから 逆らいようもなく、 そっとへだてる
暗さを知らないものは、 賢くないのだ。
不思議だ、霧の中を歩くのは! 人生とは孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。 みんなひとりぼっちだ。
これはおれがヘッセの詩の中で好きな詩だ。
彼女が生き延びたら物書きになっていたんじゃないかと思う、詩も書いてたと思う。詩人の感覚や視点は孤独で、自閉的で、言葉の中に空間を作り出すような才能だと思う。俳句とか短歌なんかもそうだと思う。
詩は所どころにでてくるが最後に載っている詩は、目の前に情景が浮かんでくる。そして、孤独なのに、寂しげでなく静かで、澄んでいる。落ち着きをもっている。この詩が、本当に死の前に書かれたのかわからないが、孤独を受け入れてそれを理解しているように感じる。詩の中に書かれているように彼女は、休もうとしたんじゃないかと思う。休めばいいんだと。
睡眠薬で散々眠った後、モウロウとしながら絶望や寂しさから、開放されたのかもしれない恐怖も苦しさもなかったかもしれない。彼女は精一杯生きたとおれは思う。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
|


最近のコメント