2006年5月10日 (水)

幸せって?

幸せって、願望がかなう事?その願望って何?その何がわからない?そうじゃなくてその何にたどり着く方法がわからない?そうじゃなくて、その方法をやる事ができない?そうじゃなくてやってるつもりが出来てない?そうじゃなくて出来ても願望はかなわない?そうじゃなくて願望が幸せじゃなかった?そうじゃなくて、、

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2006年5月 6日 (土)

続、兄とおれと家族

兄は子供の頃から多少問題児であった。保育園は、寂しさと、ビビリと園児社会になじめず不登校気味になり、おれが、事実上2才ぐらいから近所の姉さんに連れて行かれ、一緒に行くようになった。

兄は小学校低学年ころ、ひどい蓄膿で下を向いておられず、集中力がなく勉強が遅れ気味になり、肥満児にもなってしまい。いじめやからかいの対象になっていた。しかし、小3の時、同じ肥満児友達と剣道をはじめ、励ましあい努力し、少しずつ痩せ体力もついてきた。そうなると自信がついてくるし、剣道は直接格闘技ではないが、やはり強くなるのでいじめもなくなった。剣道は兄に自信を与えた。

その剣道が高校推薦という手段になり、縛りつけられた。普通の生徒以上に注目されると余計にイライラピリピリが増すのだ。多少は誰でも経験はあると思うが。

父は、兄の勉強嫌いと出来なさから、就職か、訓練学校などでもいいと言っていた。母は石にカジリついても高校へ行かせたかった。おれは行けるなら行った方がいいと思っていた。本人は迷っていた、勉強する素振りも見せた事があるがあまりにやってなくて、小学校の基礎から全教科やんなきゃ駄目ぐらいだったので無理だと思った。

彼女との交際は彼女自身や彼女の親が、受験や中学生であるということで終わった。彼女自身も我に帰ったみたいだった。兄は引き摺りまくっていた。不良のたまり場へのピークは10月の町の祭りだった中3の兄貴がグデングデンに酔いつぶれ同級生の女子2人と男子1人に家まで連れてこられ、母がヒステリックにビンタしている光景は忘れられない。そして、先輩女子から、彼女との事をいろいろ初めて聞いた。おれは、学校で兄の交際が元で、からかられまくっていたので、話掛けようとする彼女を無視していた。彼女はおれに申し訳ないと思っていたらしい。

兄の母に対する無視はひどくなった。父は勤めに行き、帰って来て細々と続けていた自営の織物工場を晩飯を食べてからやり11時頃一杯飲んで寝てしまうだけ。母のグチ、話相手はおれになった。必要以上に何も言わない父。母を無視する兄。おれはそれぞれの橋渡し?そして母のカウンセラー?おれは兄を巡る一家の居候になった。

なんとか剣道推薦で、高校へ行ったが、ツッパッて生意気で短気で反抗的な兄は先輩から目をつけられ、いじめ?リンチが始まり、高1の二学期でさぼり気味になり退部してしまった。案の定、ダブリ留年し2度目の一学期で中退した。そして9月から工場に働きに行き、バイクの免許を取り、本格的ヤンキー化していった。おれが高1から高2ぐらいが、本当に兄がやばい時期なのだ。

仕事には行っていたが、生意気なヤンキーは工場の中でも悪い現場や、リストラ現場に回っていく。おれが高1の三学期頃になると春の訪れと共に暴走族も活動的になってくる。中卒のヤンキーエリートを加え、夏に向け爆走の準備をはじめ、集会が毎週のように開かれる。おれが高2になった頃、暴走族「無頼漢」結成、バイクの改造、特攻服の発注も終わり。ゴールデンウィークとかイベント時期に大走りが計画される。

おれは高1の時学校に馴染めず、イライラしていた。兄はまったく親を無視、「仕事は○○のとこから行くで、飯いいよ」などと行ってしまう。彼女も出来、彼女の家によく行っていたので、母は、疑心暗儀の塊とかしていた。ピリピリを越し、キリキリとしていた。おれは家でも気が休まず、帰ってもラジオをヘッドホンで聴き完全居候化していた。

暴走族、ヤンキーファッションのツレ(仲間)が、割と家に遊びに来ていた。母の秩序、いや普通でも嫌だし、ワルと見てしまうな。そして、彼女もヤンキーっぽいし。この頃の自分を思い出すとイライラし、自分は犠牲者だという被害者意識が強くすべてが嫌だった。

そして、「無頼漢」は何度か走って、警察にマークされ「大走り」は垂れ込まれたのか、事前にチェックされたのか道交法違反で、兄は捕まり拘留された。おれが高2の6月頃だった。保釈に行った時やはり、母は泣いたそうだ。父は警官から散々説教を受け、釈放された。兄は、リストラ寸前の工場をやめ、引きこもり状態になった。

おれが高2の夏休みの前後、長年家に寄り付かなかった兄が、朝ダラダラと起きテレビを見てゴロゴロしていた。しかし、兄も母も、長年のピリピリした感じがなくなり、次第に家の空気が変わっていくのがわかった。

長年、細々と昼間、母がやり、仕事から帰って来て父がやっていた織物工場(織物工場が町の地場産業で、ほとんどの家がこういった家族総での小さな工場をやっていたので当たり前だったのだ)も、その年いっぱいでやめる事になった。

母は工場が嫌だったのだ。母のイライラの原因は、かなり工場にもある。父が工場を続けたいが為に、夜勤や残業をやらずにいて給料が上がらなかったからだ。おれも勤めに専念した方が、儲かるし父も楽になるじゃないかと、父を何度も責めていた。父の意地である。この町で自分で織屋をやるという事は「一人前の男」なのだ。他の家々も同じような悩みと問題を抱えていた。

おれも、もがいていた、こんな自分がどうやったらクリエイティブな職業につけるかと。家族みんながもがき苦しんだ数年間だった。いろいろな事が終わっていった。そして家の空気が変わっていった。

工場で知り合った彼女とは、親密さをまし、兄は腰掛でしばらく別の工場に勤め、18才になってすぐ車の免許を取り、兄貴肌の社長がやっている小さい運送屋に宅急便からスタートしてトラックの運ちゃん道に進んでいった。そして、「結婚するで!」と早まっていたが20才で結婚し、すぐに二人の子供が生まれ、実家もボロくなっていたんで24才で家を建て、25才で交通事故で死んでしまった。

今思うと兄だけでなく、自分も、母も、父も、何かもがき苦しんでいた。それが家の空気感になってみんながイライラ、ピリピリしてしまっていたのかもしれない。おれは高校2年の終わり頃から3年にかけては楽しかったという感じがある。学校やクラスが変わったというより自分が変わった感じがする、受験がありピリピリはしていたがそれとは違う、肩の荷が下りたような安堵感があった。おれの居候感はなくなっていった。

後で兄に「部屋は、アッシがほとんど占領していたじゃないか。」と言われた事がある。居候なおれだったが、兄は居場所がなかったのだ。

そんな家族の数年間だった。

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2006年5月 4日 (木)

兄とおれと家族と

年子の兄は、中学3年の頃いわば不良の仲間だった。

ロックのレコードは、その仲間達のたまり場になっていた友人から借りていたのだ。おれも知っているその人の一家は、流れ者で親の職業もよくわからなかったが、はぶりが良かった。その弟がおれと同級生で、何度か家に行った事がある。その家は神社の借家で、そこにプレハブの子供部屋があった。部屋の中はロックスターやアイドルのポスターがベタベタ貼ってあり、たくさんのレコード、オーディオ、エレキギター、部屋の隅に無造作に積まれた雑誌、当然のように灰皿、エロ本といった感じで中学生の部屋じゃなかった。あやしげで快楽的、退廃的な雰囲気を漂わせていた。

その人はヤンキーっぽいツッパリではなく、妙にフレンドリーな口の達者なチンピラ?みたいな感じだった、「どう?まータバコでもすってみなよ?」みたいな、後で知ったが親はテキ屋さんでそっち方面の人らしかった。

兄は勉強も運動もすべて限りなく駄目だったが、小学校からやっていた剣道に打ち込んでいた、性格は短期で飽きっぽいが、さっぱりして男っぽく部活をやっている間は体育会系のノリで、まじめだったが、不良ぽさに憧れる粋な兄ちゃんだった。

小学校3年から始めた剣道はスポーツ少年団の中でも、親達や指導者が熱心で大会や練習に追われていた。そのまま、中学の剣道部に入りもっと練習は厳しくなり遊んでる時間もない。文武両道でやれる人もいるが、兄が勉強をやっている所は見たことがない。もともとできないと中学の先生は、見捨てる傾向がある。そういう事に対して頑固にツッパッてやらないのが兄である。嫌なものは嫌というのはものすごく頑固だった。

そして、顧問の先生の望みや先輩の推薦で部長になった。剣道部は部員をまとめるのもさることながら、親達がかなり絡んでくるので、部長になれなかったずーっとしゃしゃりでていたドラえもんのスネオのような一家がかなり部を荒らしていた。剣道部の同級生や顧問の先生から「兄さん大丈夫か?」と何回か聴かれた事があるが、その顧問もスネオ一家に丸め込まれていく。家の親やスポーツ少年団の指導者なんかとやめたいとか相談したりしていた。

兄は剣道推薦で高校進学する事が、部長になった時点、つまり中2頃から決まったような感じだった。本来まじめで頑固な性格で、期待してくれる人がいるとガンバってしまうので、部長や高校推薦のプレッシヤーを抱え込んだ。そして、そのレールに乗っている自分が苦痛になっていった。

部活に打ち込んで、それしかないようなヤツが、部活が終わった中3の夏休みから非行に走ったり、荒れてきたりするのは、その車輪の下敷きになっている苦しさじゃないかと思う。おれは大人から期待されるという経験がなく、自分本意だったので学校に関する事は、普通ぐらいにやり過ごしていた。兄は、そうは出来なかったので中3頃から、特に夏休みを境に、生活があれていった。

剣道部の部長で、男っぽくて不良ぽいが、根はまじめで頑固で優しくてなかなかのハンサム。もてない訳がないということで、もともとチョコチョコつきあっていた彼女といっしょにいる時間が長くなる、と帰りが遅くなる、と親達が心配するのは当然「不純異性交友」だろう、「金八先生」の最初の放送が始まる1年前。

不良達との付き合いと、彼女との付き合いが、「車輪の下」からはい出ようとした兄の反抗だった。とおれと兄だけが分っていた。

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2006年5月 3日 (水)

支配する思想

孔子という人物には、ほとんど興味がないのですが、「儒教的要素」は今以上に自分が子供の頃はあったと思います。

「儒教とは、君子が従うべき‘道徳‘と‘儀礼‘の哲学」だそうです。

中国思想の特徴は、現実性で、その中心に置かれているのが「天」で、天=自然崇拝=道徳の根源、であり、それに背けば「天罰」がくだるというものであり、その天は政治的であり、政治は道徳的なものである。という発想なのだそうです。

仁(思いやり)、義(正しさ)、礼(礼儀、規則、制度)、智(人がなすべき正しい行為)、信(人間関係の基本である信頼)という、基本理念から儒教はなりたったものですが、それが理想の政治であり、君子という上に立つ者に対する教えだそうです。

日本は、仏教の方が盛んで、江戸時代に武士や一部の中産階級が学ぶ道徳ぐらいだったのが、近代、つまり明治維新以後の天皇制の元、国民全体に強要するかたちで「教育勅語」の母体として、太平洋戦争終戦まで、支配者に都合のいい前近代的思想、道徳として教育されてきたということです。

自分が子供の頃は、こういう道徳感がまだあったと思いますし、強要する道徳という感覚は感じていました。大人が、戦中派だったからだし、先生の中にもいましたし。上に書いたような事は、タケ君が知っていました。というか彼のお父さんが頭良くて、こういう事も考えていたり、知っている人だったのです。カメラが趣味で、これまた影響されてカメラを買い、撮影に連れてってもらいました。

中国の思想としては、孔子より老子、荘子の道教の方が中国らしいと思います。老、荘思想は個の思想だと思います。「道」という観念の方が今も通用するし、考え方としてもなんとなしに説得力がある感じがします。そして、中国の思想には、人格神的な神話はないみたいです。老荘思想もあくまで自然について語られています。「自分で自分の道をみつけな」見たいな感じです。

「老荘思想」の本ははじめて新書という文庫より少し大きめな本を買って読んで、なんか知的っぽくねぇー、とか思った本でしたがどっかいっちゃいました。多分何度も引越して、その都度処分していた中に入れてしまってたかもしれません。

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2006年4月30日 (日)

自分って?

自分や自分を取り巻く人、家族、親族、地域、学校、社会、国家などについて思い、考えるにしたがって、自分というものが出来上がっていくのだろうと思います。

第二次成長期12,3才~15,6才頃、身体も急激に成長し脳も成長する。思春期でもいいが、この時期のそれぞれの人の意識がどこに集中するのかバラバラなのかもしれない、ひたすら自分に向ける人もいるだろうし、好きな事に向く人もいるだろうし。

自分の場合、現実に進行している社会より「こういう社会はなんでこうなったのか?」という事に対する疑問と興味がかなりあったと思う。子供の頃から、「なんで?なんで?」と興味を持った事に対して固執するところはあった。そういうのが勉強に向いてくれればよかったが、自分の場合、勉強を含む学校よりそれ以外の社会に興味があった。

自分の事を考えるうちに「社会」そういう中でも「抽象的思考分野」に興味がわいてきた。

吉本隆明さんの言葉を借りると「抽象的思考分野」「言語思想」の領域である。こういう思考を言い表す言葉として「心理」「精神」など、いろいろあると思うが自分がピンと来る言葉があると考えやすいと思える。自分の場合「哲学」「宗教」「思想」もろもろを含んだ思考を言い表す言葉として「抽象的思考分野」というのがおさまりがいいのです。

中学の頃、その頃の現状として「民主主義」VS「社会主義」、アメリカ対ソ連があった。そして中国との国交が本格的に回復して、中国の文化がかなり入ってきた。NHK「シルクロード」シリーズなどが代表的であった。

タケダという頭のいい友達がいて、彼からかなり影響を受けた。まず、読書、眉村卓、筒井康隆、星新一など日本のSF小説はすべて彼の影響で読み始めた。それまで自分はSFというのはそんなに意識してなかった。そして、文学や一般小説、専門書なども。そして彼から、中国の影響も受けた。彼は歴史が得意というか好きで歴史書なんか読んでいたり、漢文に興味を持っていて、ややこしい漢詩などを読みこなしていた。

孔子や老子、荘氏など中国の古代思想について、興味が出た。それ自体にというより「儒教」の影響が日本に強いということから。一般論と思っていた事が思想から発しているという事に。

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2006年4月 8日 (土)

ネットで渋谷陽一を調べたら、番組がわかった。「ヤングジョッキー」だった。時代を感じる。他にNHKは洋楽のバンド、シンガーなんかのライブをテレビでやっていた。今もBSなんかでやってるが、NHK総合で夕方頃にたまにやっていた、「ヤングミュージックショー」だ。土曜日のPM6時から歌番組をやっていて、多分この系統は今もつづいているはず、「レッツゴーヤング」だ。多分当時すでに、ヤングな視聴者はかっこ悪いタイトルと思ってたはずだ。

ロックバンドの映像は、「ヤングミュージックショー」、雑誌は「ミュージックライフ」だった。いなかだからそんなに情報源はないし、金もない。FMは「ポップスベストテン」とかリクエストに答えてトーク&心地いい音楽みたいな番組が多かった。だいたい日本の物が多いし。日本の曲も好きで聴いていたが、「ヤングジョッキー」はマニアックだったのだ。ほとんど渋谷先生の趣味趣向で、曲を選んでたし、リスナーも同じ趣味だからリクエストも偏っていた。「あの名曲のB面の曲がいいリクエスト特集」とかやってもツッペリンとビートルズが必ず入って、アメリカンロックはほとんどない。好きなバンドが新譜を出すとそのバンドの曲を何週間も特集してしまう。「地獄の黙示録」が公開された時も、「ドアーズ」特集やってた。その後も、ずーっとそうだった渋谷先生は。でもそれが面白かった。

後々知ったけど、「ミュージックライフ」VS「ロッキングオン」だったのだ。

ほとんどエアチックして、録音の上に録音していた、カセットは今だにあるがノイズがすごい。ロックらしいLP買ったのは「ジャパン・孤独の旋律」だけ。こずかい優先順位は、漫画、雑誌、本、映画、プラモデル、でレコードだった。エレキギター欲しかったが、問題は兄貴だった。

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2006年4月 6日 (木)

おれって何が好きなんだろう1

ロック聴くきっかけは友達から、兄弟から、先輩からの影響が多かった。おれが聴きはじめた頃は、今は知らんけど。おれはアニキだった。一つ上の。

兄中1、おれ小6。おれは日本のフォーク、ポプコンなんか聴きはじめ、ラジオをきくようになったが、まだ歌番組をポケッと見ていた。おきまりの「デープパープル」を兄貴が借りてきて、「アツシこれ聴いてみい!」と黙って聴く。おれと兄貴は感想を言い合ったことがほとんどない。嫌ならその場を去る、いいなら聴く。大音響で聴いた。「パープルイン武道館」を借りてきた、録音、「キッス」「レインボー」など。ハードロックは、しかしだんだん飽きてきた。

中学になってFMラジオを良く聴く様になった、友達なんかは日本のやはりポプコン系やニューミュジックを聴いていたし、自分もほとんどそうだった。ザ・ベストテンは欠かさず見るみたいな、しかし歌謡曲はダメだった。中2の頃、兄貴が「レッド・ツッペリンⅣ」を借りてきた。パーフルとは違う。はまった。「ツッペリン」は暗い、はまったと言う感じだった。

自分で洋楽を買う「ビリージョエル・オネスティ」「イーグルス・ホテルカルホルニア」などシングル、おとなしめのもの、「アースウインド&ファイア・太陽神」などポップなもの。なぜかツッペリンの他のものを買おうとは思わなかった。

中2の終わり頃、兄貴「セックス・ピストルズ勝手にしやがれ」を借りてくる。はまった。興奮した、なんかわからんが暴れたくなる。パンクが何か、ボーカルがジョン・ライドンとも知らず。兄貴はとりあえず借りてくるだけらしく、「ピストルズ」はダメみたいだった。初めて友達にすすめてみるが、曲が面白くないつまらないらしい、他のロック好きは「クリーム」「エリック・プラクトン」「ビートルズ」なんかに行ってギターをはじめていたんで、パンクはただ単調なコードを繰り返してるだけだそうだ。おれもギターをやりたかったが、うちにあったフォークギターで「ホテルカルフォルニア」をコピーしていたが全然ダメだった。

中3頃か、「ジャパン」は、デビット・シルビアンの美形キャラとビジュアル系で日本でも人気が出て、テレビにもでていた。女性に人気があった。おれは最初はキャラから拒否していた、ロックは汚い格好でやるもんだ。と、が「孤独の旋律」はエア・チェックして聴いていたら、はまった。どんよりダラダラ暗いのがいい、ツッペリンも暗いがハード過ぎて飽きていた、ピストルズはストレス発散で、たまに聴く感じ。なぜか兄貴も「ジャパン」にはまる。同時期「ポリス」もよかった、「ロクサーヌ」。

その後「クイーン・伝説のチャンピオン」にはかなりはまった兄貴だが、長渕剛、クールス、矢沢永吉など日本のそっちの方へ、と同時に元々不良だったが、ヤンキーへ。舘ひろしとか横浜銀蠅へ。

ロックの伝道師?洗脳係りは兄貴である。そして、ロックの先生は渋谷陽一。「ロッキング・オン」の存在は知らなかったが、NHKFM金曜10時頃からやっていたと思う、サウンドストリートの前の番組、なんだったか。忘れたけど。

デープパープルからツッペリン、エリック・クラプトン、に行けばロック少年になってたかもしれないが、「ポリス」がよかった。中学の終わり頃はどちらかというとスカスカな方が好きかもしれない、後々ビートルズにはまるし。

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2006年4月 1日 (土)

人生の休息

84年4月、実家へ帰り、とにかく金、銭なかったらなんもできん!工場でバイト、残業、交代勤務、休日出勤。

試験も勉強も学校もない。仕事はこなすだけ、工場から出たら知らん。

「暖かい日陰」完成、やっぱり「ガロ」へ送る、ガロではやまだ紫「しんきらり」近藤ようこなど女性マンガがよかった。なかなか帰ってこないんで、2作目を描き始めたら戻ってくる、そんな甘くない。もう1作送る、すぐに帰ってきた。

面白くいない、個性がない、美大クズレっぽい絵柄、こんなやつごまんといる。

本とマンガを読む、太宰治「人間失格」2度目、どうもお坊ちゃんの気取りやにしか感じない。「斜陽」のほうがいい。文庫本コーナーで日本の文豪を立ち読み、夏目漱石、志賀直哉、島崎藤村、武者小路実篤、etc、面白くない。まじめ過ぎる。文学カブレも潮時かな、と思った頃三島由紀夫にはまる、「仮面の告白」「金閣寺」はコンプレックスがどうのこうのまじめだが、文体が豪華でグラマラス。「憂国」「禁色」「潮騒」「豊饒の海」4作、くどい装飾と自意識過剰な、自己満足の優美主義。現実逃避できる。三島自体、変態じゃん結局。谷崎潤一郎「卍」「細雪」「知人の愛」も現実逃避できる。ぬけないエロ小説。

フリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」などSFもまた読み始める。

マンガは大友克洋「童夢」はすごい。萩尾望都「メッシュ」が読みたくてプチフラワーを買い始める、そこに載っていた竹宮恵子「風と木の詩」にはまった。壮大なスケールのホモラブストーリー、舞台はおフランス、なんじゃこりゃ?と全部読む。

高校の頃はYMO関係、ポリス、ロキシーミュージックを聞いた。浪人頃からビートルズにはまった、そこからイギリス、ポストパンク、ニューウェブ系や、デビット・シルビアン、ブライアン・フェリーから、バウハウス、エコー&ザ・バニーメン、トレイシー・ソーンなどインディーズものにはまっていった。

中身はカラッポ、現実逃避できりゃいい。

新聞も読まなくなった。ニュースも見ない。人にも会わない。深夜のMTVはボ~っと見ていた。歌番組、アニメも見ていた。成人式には、バイトに行った。誕生日は「二十歳になったなぁ」と思った。

服をいろいろ買いたくなった。買った。髪形をどうにかしたいと思った。ジャニーズっぽいパーマをかけたらおばさんになった。高校の同窓会は行った気がする。中学から飼っていたネコが死んだ。

遠州灘の海に、せり出た防波堤の先から、水平線のかなたから昇る天の川を見た。

天竜川にはよく行った。原チャリでのんびり走って出かけた。

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