2009年3月16日 (月)

「地を這う魚」吾妻ひでお「夢見る機械」諸星大二郎

030935111_3 この人は、自分の世界感を持っているし、それに変わる人はいない。

1970年代後半から80年代前半が全盛期だと思うが、漫画家復帰後の作品は、しっかりと読みごたえのあるものばかりだ。

この「地を這う魚」は、なんでマンガという形で、作品を描くのかという事がよくわかる。キャラクターや背景というパーツを描くという面白さを改めて教えられた、ストーリーというのは、出尽くしているし、ギリシャの昔から、パターンはそんなに変わらない、作家の表現力だと、改めて思う。 すばらしい傑作である。

21rtgnpm6el_sl500_aa140_1  この作品集はジャンプ時代の新人の頃のもので、買わずにいた物が古本屋にあったんで、購入した。

この人も世界感がぶれない。絵的には線が整理されてない感じですが、基本は変わらない。

やはりマンガだから読めるストーリー性なのだ。

Jpg

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2009年2月24日 (火)

マンガが多いけど

古本ばかりでここ最近読んだものは。

藤子不F二雄の少年SF短編集2の文庫、藤子F先生の作品では、エスパー魔美が好きなんですが、SF短編は、もうほんといいですね。ドラえもんもSFだと思うけど、SF臭さという意味では、他に類がないほど、SF短編いいです。

伊藤潤二の「闇の声」、ホラー漫画の人ですね。チラッとしか見てなくて、古本であったもんで読んだら、強烈でした。俺は子供の頃は、ホラーは避けてたんですが、絵柄としては、諸星大二郎とか花輪和一とか好きなんですが、伊藤潤二さん絵がいいし、ストーリーぶっ飛んでます。他も読みたいです、映画化されてますけどね。

花輪和一さんの「天水」文庫新刊、これは知らなかった作品ですが、メルヘンチックな御伽話的な花輪先生です。面白い。

山田花子「神様の悪ふざけ」、今更読んでみると、不細工でダサくて、地味で気の弱いおれは、へこみます。だからあえて読まなかった山田花子です。自分の傷口をえぐるようなストレートな、自虐作品だと思います。今もアックスの作品の多くが引きずっている。ただ、根本敬もそうだったんですが、描いている作者本人は、そんな不細工じゃないんですね。それで、なぁ~んだ。とがっかりした記憶がありますし、今回も写真見るとそんなにブスじゃないんですよ、根本敬はかっこいいぐらいだし・・

本当に不細工なダサい、しょぼい人間は、綺麗な夢を追い、現実逃避すると思うので、やはり、不細工コンプレックスが山田花子的作品というより、ひねくれ方の作品だと思えてしまう。から、今回も傷口に塩を塗られた感じを受けたんですが、本人はネタとして不細工を扱っている感じがしてしまう。それが面白いのかは、わからないですよ俺は、すごいとは思うけど。

森下裕美「大阪ハムレット」映画化みたいだけど、でも本当に漫画原作が多いな、でも漫画雑誌は売れないみたいだけど。

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2007年10月 1日 (月)

道(タオ)老子について

中学の時、古典に興味を持ったのは、同級生の武田君の影響もあるが、好みというか感慨を受ける物はそれぞれに違うものだ。

武田君は漢詩にしろ日本の古典にしろ、現代に色濃く影響が残るような言葉や、歴史的な意味合い、いにしえに想像力を働かせ楽しむのが好きだったようだ、どちらかというと歴史好きと言った方がいいかもしれない。

おれは、その物がもつニュアンスが問題で、あんまり歴史的な意味には興味がなかった。

老子の無為自然という思想と道(タオ)についての思想が、閉塞的な中学生活もしくは、現実の生活から、広大な空間へと解放してくれるようで好きになった。講談社などの新書の難しい本を買って読んでみたが、そういう本のほとんどが歴史的に書かれているのでつまらなかった。

タオの本はいろいろな人によって翻訳されたり、解説されているがとにかく堅苦しい感じに書かれている。しかしその文章は比喩や例え、を言い回しながら基本的に道(タオ)とは何か、道(タオ)にしたがって生きろという物である。

511esq98p9l_ss500_1 1年ほど前に加島祥造さんのそのものずばり「タオ」を買った、今年84歳になる著者が7年前に書いた軽快な老子の訳本である。これを読むと基本的には、老子と言う人のエッセイである事がわかる。そして、個人的な思想というより集約されたものだというのがよくわかる。道(タオ)という思想を老子という架空の人物の設定でまとめられた物といってもいいかもしれない。

道  名の無い領域

これが道だと口で言ったからって

それは本当の道じゃないんだ。

これがタオだと名ずけたって

それは本物の道じゃないんだ。

なぜってそれを道だと言ったり

名づけたりするずっと以前から

名の無い領域が

はるかにひろがっていたんだ。

抽象的な問答のような感じは、アジアの独特な感覚かもしれない、西洋の哲学や宗教は具体化する事にやっきになっているのだ、だから理屈っぽい、もしくは理論化したがるのだ。

前があるから後ろが有る

というようなかなり当たり前の道理を延々と説いている、そしてそれがタオだと

タオの始めに あの混沌があった

それを一としよう。

その一から陰と陽が生じた。それを二としよう。そして

このふたつの間から三、すなわち

この世のすべてが生まれたのだ。

すべてのものは、だから、陰を背負い

陽を胸に抱いているのであり、

そしてこの二つが中心で融けあうところに

大きな調和のバランスがあるのだ。

スターウォーズのジェダイの話を聞いているようだ、タオという言葉とフォースを入れ替えれば、ヨーダが語っているみたいだ。

心の有り様、人生について、生活そのもの、あらゆる事に関して完結に書かれている。そのどれもが今も変わらないのだ。

神とか天とか出てくるが、人格神的でないのが中国の特徴で、それがおれがとっつき易いのかもしれない。

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2007年8月 8日 (水)

ロセッティとラファエル前派 松下由里を読んで

ラファエル前派の絵を初めて見たのは、高校の時芸術新潮1982年11月号の世紀末特集だったと思う。学校にあったその雑誌をパクって持っていたはずでしたが、売ってしまったみたいで今は、ないです。

世紀末、象徴派といわれるヨーロッパ各国の画家に混ざって、イギリスラファエル前派の絵が何枚か載っていたのだ。中でもロセッティの絵は、見た事がない感覚の物で影響され、その頃、古本屋でラファエル前派の画集を探し買ったりして、しばらく陶酔していたが、飽きたのと他にいろいろ興味が移ってその後、忘れていた。

去年出たらしいこの本は、詳細にラファエル前派について書かれていて、しかも絵もたくさん載っていた。今回しっかりした経緯を知りたいと思い読んでみる事にした。

ロセッティ、ハント、ミレーの三人が、中世の歴史や文学の一場面を画面の隅々まで、描写し硬い輪郭線を用いて克明に描く。15世紀のイタリアやフランドルの絵画に傾倒した試みから1848年に結成された共同体が、ラファエル前派であった、4,5年ぐらいすると、それぞれの方向に向かっていき画風はそれぞれになっていく。そして、何年後かにロセッティ、バーン・ジョーンズ、モリスによる第二次ラファエル前派が再び立ち上げられる。

そしてわかったのは、ラファエル前派の絵は、そんなになんとも思わない、くどくて気持ち悪いのだ、結局ロセッティの晩年の絵にだけ興味があったのだということが今回わかった。

8proserp1 高校の時、芸術新潮で見た絵は、第二次ラファエル前派も終わった、ロセッティの晩年の作品だったというのが、今回わかったのだ。つまり、晩年の作品を世紀末的、象徴的な作品として取り上げていたんだろうと想像できる。

ロセッティがモデルとして見つけ出し、モリスと結婚していたジェインをモデルとした、装飾的な作品、それがロセッティの代表作であり、ラファエル前派を象徴する作品なのだったのだが、実際は、ラファエル前派とは関係がなくなってからの作品であるといっていい。

決して美人でない、首の太い、長身で痩せてごっつい黒髪のジェインの悲しげで、内向的な表情が、暗い画面から何か霊的な暗示を感じさせるのだ。

改めて、ジェインをモデルにした後期の作品を見ると、地味で、暗く色身がほとんどないのだ。それまでの作品は、金髪、バラ、赤い服、金、銀の装飾物といった風にゴテゴテして派手である。

金持ちのボンボンの集まりであるラファエル前派は、結局それまでのコテコテさと変わる事はなかったのだ。印象派のような、本当の自然を捉える事もできず、心理描写もつくったようなものでしかない。

8beatrix1 ロセッティの作品の中で唯一ソウルを感じるのは、このベアタ・ベアトリクスである。亡くなった奥さんをモデルに描いたものである。

絵的に好きなのは、この作品である。

ジェインをモデルにした作品は、ジェイン自身が放っていた雰囲気かもしれない、独特な怪しい魅力があるのは事実だ。

いずれにしても、ロセッティの絵の主題は、気に入った女性という事である、ジェインや奥さんのリジーである。

ジェインとは、不倫関係になったみたいであるが、会う事がなくなり、最後の方は、想像で描いているという事である。

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2007年6月 3日 (日)

改訂版「猫谷」花輪和一を読んで

318941931 続いて、花輪和一さんの本が出た。改訂版猫谷

三輪明宏さんがよく言う、妬み、嫉み。三輪さんはそれがこの世だと言う。自分より勝っている人や境遇を妬んだりうらやましがったりするという感情が、憎しみや恨みを生んで心に宿るという。こういう感情は苦しいのだが、生き続ける以上、常についてまわっている。

それを怖がったり嫌がったり、清い心になりたいとか悩んだり一番したのは、十代だろうと思うが、そういう感情を抑えたり反省したり直したりするより、はるかに妬み嫉み憎み恨み、怒り呪う方が強いのだ。強いという事はそれだけ受けやすいと言う事である。

精神分析なんかで、抑圧したトラウマの事をいうがもちろんそういう直接的な原因もあるが、それによって起こった感情である恨み、憎しみ、怒り、呪いなど感情は性質とか気質になって個人的な性格になるのだろう。そういう心で人とうまくやっていける訳はない、常に警戒して、ちょっとした事で相手に裏切らたと感じ、誰も信じなく益々自分は惨めになるが、うまくやらなければといい人を演じ自分自身を呪うのだ。そして、疲れがピークに達したり、押さえていた恨みが限界を超えた時、何かが起こる。人によって違うと思うけど。

幼少時の環境で染み付いた。心の汚れをキレイにしようともがくより、それも自分だと受け入れてうまく自分と付き合う方が楽だろうか、それがなかなかできないから人ははてしない迷いの迷路をさまようのだ。

花輪さんの漫画は、おとぎ話的宗教的寓話で、哲学的に人間の業を追及している訳ではないですが、花輪さん自身が幼少時に受けていた児童虐待が根底にあって、そこから物語が生まれてきている感じがします。

「へそひかり」と言う短編の終わりで「わかったぞ、この世はうその世界だ、もっといい世界は別にあるんだ」と童女が言います。花輪さんの漫画には、最初からこの世での救いはありません。徹底してありません。そこが、だらだら理屈をこねる感じがなく逆に説得力を感じるのかもしれません。

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2007年5月27日 (日)

花輪和一「続不成仏霊童女」

31gujflpa4l_ss500_1_2 花輪和一「続不成仏霊童女」を読む。

2,3年前に出ていた不成仏霊童女の残りの連載分と読みきりが4本、生と死、地獄、業、10年ほど前の作品もテーマはかわっていない。

ガロを買っていた頃やその後も、気持ち悪いし、グロいのでほとんど読まなかったが、刑務所の中ですっかりファンになってしまい、 新刊や復刻版が出るたびに読んでいる。

この不成仏霊童女は、フグを食べて死にそこなった影のない童女が、案内役のようなかっこうで話が進んでいく形で、人間のさまざなな業が描かれている、よくもこんな怖い事発想できるなぁ、と言う感じである。

T231_2 作品すべてに含まれている、業、憎悪、怨念、復讐は、そしてその結末は罰であったり、地獄に落ちたりする。逆に苦しみに耐え報われる事もある。ドロドロしているのに、潔さを感じる。

案内人の不成仏霊の童女はなんとなく能天気で、ユーモアさえ感じる。絵柄にしてもやはりグロいので気持ち悪いが、以外に女性ファンが多いらしいのだ。梅図かずお諸星大二郎も女性ファンが以外に多い、女性のほうがホラーものが好きな人が多いのかもしれない。

花輪さんの作品に関しては、ホラーとは言えないが、じゃあ何かと言えば特にないが、鬼太郎のような妖怪とか不可思議な世界の不変的で、非現実的な強烈な面白さがあるのだろうと思う。

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2007年4月30日 (月)

「ゲゲゲの鬼太郎」少年マガジン版を読んで

51xmv95fcjl_ss500_1 ゲゲゲの鬼太郎のアニメは今回で5回目だそうだ。実写版は初めてなんだろうか?

子供の頃、「墓場の鬼太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」の原作漫画は、親戚の家、友達の家、トコヤなどで断片的に読んだ記憶があるぐらいで、二番目のカラーになったアニメの鬼太郎が、今でも印象が強いのだ。多分このアニメが鬼太郎の人気を決定的にしたと思う。

好きだったが怖くて原作は買わなかった。そして、この二番目のアニメ鬼太郎は、強くてたくましいヒーロー鬼太郎全開で正義の戦士なのだ、原作の気持ち悪さはほとんど消えている。この鬼太郎像が一般の鬼太郎のイメージだろうと思われる。自分もそうだし、今回の映画もそうだろう。

今回、映画の便乗で、少年マガジン版鬼太郎が文庫で出た、連載当初は墓場のだった。そして妖怪と戦うスタイルにはなっている。子供の頃読んだ記憶が一番多いのは、確かにこのマガジン版だったのがわかったが、親戚の家にガロに掲載された鬼太郎の誕生が載ったコミックがあり、それがあまりにテレビ版の鬼太郎と違い気持ち悪く怖いので、自分の中でその鬼太郎像は大人になっても残っていた。

41ytz32t7bl_ss500_1 そして、去年夏頃、角川文庫から墓場鬼太郎貸本まんが復刻版が出た、6巻ぐらいあると思うが、とにかく怖い気持ち悪い、気味が悪い、とにかく怪奇な事が次から次に起こる、これを子供の頃読んでたら、怖くて忘れられない感じの怖さ、地獄に行って帰れなくなったり、魂を抜かれたり鬼太郎が現れると不幸になる、といった具合のまるでゲゲゲとは違う話なのだ。ガロ版の鬼太郎の誕生も、最近読んだが、この貸本時代の鬼太郎の気持ち悪さにはとうていかなわない。あまりに気持ち悪くて4巻まで買ってしまった。

映画ゲゲゲはゴールデンウィークで、大ヒット上映中みたいだ。どろろは原作も読んだ事あるし、おれが幼稚園頃にやってたアニメも見ていたが、今回の実写版はレンタルになって、覚えていたら見ようかなぐらいだけど、もっと子供向けのゲゲゲはなんか見たいなぁと思ってます。ウエンツの鬼太郎はちょっとひっかかるが、強くてかっこいいヒーローな鬼太郎は好きなので、ちょっと気になる、見たい。

後、一作目、そしてやはり二作目の鬼太郎の声は、野沢雅子さんである。この人の声があったから、鬼太郎だけでなく、日本のアニメは発展したと言っても過言ではない?というほど印象が強い。目玉親父はモノマネっぽいが、、野沢雅子さんのガナル声が聞きたい。どちらかと言うと二作目のアニメが見たくなったです。

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2007年4月27日 (金)

うしおそうじ「手塚治虫とボク」を読んで

51adan652dl_ss500_1_1 手塚治虫について書かれた本は、ここ最近だけでもかなりある。評論家や学者的な人が書いた物が多く、読む気にならないので、ぜんぜん読んでないが、この本は手塚先生と友人関係で、少し先輩なうしおそうじという人が書いた回顧録のような感じだ。

1955年ころから65年頃を中心に、漫画家として、いっしょにホテルへカンヅメになって 机を並べ漫画を描いたり、先端の映画を見に行ったり、いっしょに旅行に行き、熱を出した手塚の介抱をしたり、藤子不二雄A「まんが道」に出てくる、あこがれの人とは違う手塚先生が見れて面白い。

後半は戦前のアニメ事情やアニメ作家について、そしてテレビアニメ創世記の裏話などである。手塚先生は、ディズニーみたいにやりたかったのだろう。自分のまんがをアニメ化してという風に。

鉄腕アトムジャングル大帝も原作は読んだ事ないですが、アニメは見たことがあり、俺が幼稚園頃、手塚作品は、漫画ではなくアニメであった、どろろとかワンダースリー、不思議なメルモちゃん、ゴクウの大冒険、リボンの騎士、バンパイヤ、ワンサくん、魔人ガロンもそうだったか?特撮物もマグマ大使とか、手塚作品は漫画ではなく、テレビだったのだ。そういえば、俺が手塚先生の漫画をはじめて読んだのはブラック・ジャクじゃないかと思う。

うしおそうじが、接していた手塚先生は他の読み物と違いオーバーな表現があまりされていないし、分析的でないので親しみやすく感じる。なにより漫画やアニメに対する情熱や才能がとにかくすごかったというのがよくわかる本だった。

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2007年4月24日 (火)

「フライングガール」「バニーズ」笠辺 哲を読んで

409188309501_sclzzzzzzz_ss500_1_2 去年漫画「サルまん」が復刻した時に、月刊イッキという漫画雑誌にPRを兼ねたサルまんの新作が載った。その時、はじめてイッキを読んだが、結構、斬新な作品ばかり載っていてビックらこいた中に、このフライングガールがあった。

まず、絵が気に入ってしまった。水木しげる系川崎ゆきおが入った、下手そうでマンガチックな懐かしい絵なのに、新しい感じもする物だ。

ストーリーは、気弱な役人山田が、山の中に住んで危ない発明をしているトッド博士を監視するというトッド番になる、そこにはグラマーなカワイ子ちゃんの磯貝さんが助手をしている、磯貝さんに一目ぼれした山田が、博士と磯貝さんの発明や個性的な登場人物にハチャメチャにされる、ドタバタお気楽コメディマンガだ。

基本的に山田が磯貝さんにホレてて、そっから進行しないで万能な磯貝さんに対して役立たずのお人よしの山田が空回りしている話なのだが、古典的な感じと斬新さが混ざって、面白いストーリーに簡単に描くコマと密に描き込むコマが極端で、やはり水木しげるのキャラはマンガチックで背景は細かい感じが似ていて、それが効果的で面白いのだ。

31cxa038gdl_ss500_1 イッキコミックの新人賞からデビューした人らしい、バニーズという短編集があったのだが、雰囲気がつげ義春であったりする作品があったり、SFとブラックヨーモアを絡めたものがあったり、SF,怪奇、奇想天外な感覚はかなりのものだ。

フライングガールは終わってしまい最近作は知らないんですが、気に入ったです。この漫画家さん。

磯貝さんのほっぺたの斜線がいいのかしん。

こんな感じ。

Fri_1 

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2007年4月 2日 (月)

「ひとりずもう」さくらももこを読んで

アニメちびまるこちゃんはほとんど見た事がない、最初の放送の頃に見たのみ。しかし、主題歌「踊るポンポコリン」がヒットしたり話題になっていたので印象は強くある。

さくらももこさんとは歳が同じで、同じ県民である。しかし、アニメも漫画も、エッセイも特に読もうと思った事はないし、気にもしていなかったが、ビックコミックスピリッツで去年、エッセイだった「ひとりずもう」を漫画化して連載しはじめ載っていたのを、「さくらももこの漫画なんて読んだ事ないけど、どんなだ?」と見てみると、かわいい話とかわいい絵の所々に見せる、作者自身の大人に成っていく事に対する不安や、感情の表現がうまいのでびっくりした。

そして、今日単行本の上巻が出て、さっそく読んでみた。なんでこの漫画を青年誌で連載してるんだろう?という疑問があったんですが、まとまった物を読んでみると、これは少女マンガ誌より、広い意味で読まれる青年誌で正解だと思えてきた。

ほのぼのノラリクラリと中学、高校を過ごす、さくらももこの薄っすらとした成長の過程、時折見せるシリアスな表情がかなり切ない。この巻の最後のコマの「私の青春て、けっこうつまんない、青春かもな・・・、だからってみんなみたいに、やたらとキラキラしてる青春なんて・・・、ちょっと・・・」とかわいい女の子の中でひとり浮いているももこさんがいます。表情は不安というより迷いな感じです。

「私にとって幸せな将来って、何だろう?」とかいう時の表情がいい。

真似してみると、こんな感じか・・こういうシンプルな絵がいいな。

Mosixya

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